みなさん、はじめまして!
おくりびとインターン 兼 次世代死生観研究所(仮)研究員の、ひなたと申します。普段は大学生をしています。
突然ですが、このたび、次世代死生観研究所(仮)を立ち上げることになりました。
研究所初の活動となる本記事では
- 筆者は何者?
- なぜ研究所を立ち上げることになったのか?
を中心に、研究所のあゆみのプロローグとなる内容を綴っていきたいと思います。
私がおくりびとインターンになったわけ
すべての始まりとなるきっかけは去年の夏、大好きなペットと祖母を立て続けに亡くしたことでした。
私はもともと、小さい頃から「死」への恐怖を人一倍抱いている人間です。
死んだら永遠に生き返ることはできず、自分の意識はぷつっと消えて、そのまま……なんて、あまりに怖いですよね。普通に生活していても、死ぬことが怖くて怖くて、死を意識しすぎてしまって突然ドキドキが止まらなくなるといったことがよくあります。
そんなとき、私は一旦「死」という現象を見ないふりすることでしか、その恐怖に対処できませんでした。
それなのに去年の夏、ペットと祖母を亡くしたことで、私は否が応でも死に正面から向き合わなければならなくなりました。「死」を見ないふりすることができなくなってしまったのです。
祖母の葬儀の準備に追われるなか、祖母の死にじっくり、穏やかに向き合う時間をくれたのが、故人の身体を清めて棺に納める、納棺の儀でした。
納棺の儀に感銘を受けた私は、納棺師である木村光希社長の著書を読み、社長の死への向き合い方、考え方、捉え方に深く共感し、おくりびとインターンを始めることを決めました。
私の願いは、いつかは社会のすべての人が、死に能動的に、前向きに向き合えるようになることです。ペットと祖母がつないでくれた縁を大切に、自分にできることを精一杯やっていけたらいいなと考えています。
死生観研究所を立ち上げよう!
では、「社会のすべての人が、死に能動的に、前向きに向き合えるようになる」ためには、どうすればよいのでしょうか?
私は、「死について考える機会を増やすこと」「死をタブー視しないこと」が大切だと考えています。
一般に、死に関する話題はタブー視されており、気軽に口に出してはいけない風潮がありますよね。
死は誰にでも、確実に訪れるものであるにも関わらず、その風潮は強いです。
私の祖母も、自らの死について話し合うことを頑なに避けていたため、いざその時が来ても、どの程度延命治療をしたいのか、どんなお葬式をしてほしいのかなどがわからずじまいで、残された私達はとても困ってしまいました。
特に上の世代になるほど死をタブー視する傾向が強いですが、実は内心では、死についてもっと考えてみたい、話してみたいと思っている人もたくさんいるのではないでしょうか。
それなのに、なんとなく話しづらいから……と避けている人も、そもそも死をタブー視する社会の風潮が強く、死について考えてみる・話してみるという発想自体が思い浮かんでいない人もいるはずです。
しかし、「死」について考えることは、本当にタブー視されているのでしょうか?
意識して周りを見渡してみると、この世は「死」についての考え=「死生観」がそこかしこに散りばめられていることがわかります。
例えば、物語の大きなテーマとして、死が扱われることはよくありますよね。
その物語ひとつとっても、その物語の作者が持つ、または物語がつくられた当時の社会や宗教で普遍的であった「死生観」が存分に含まれているといえるでしょう。
意識していないだけで、私達は日頃からさまざまな死生観に触れているのです。
では、それらをはっきり意識して、しっかり向き合ってみたら……なんだか面白そうじゃないですか?
死を軽んじ、死を軽々しく扱おうというのではありません。
誰にでも100%訪れる「死」と、向き合って、考えて、話し合ってみたい、そして社会の人々にもそのきっかけを提供したい、という思いから、本研究所が立ち上がりました。
「次世代」というとなんだか幅広いですが、これから社会を担っていく私達世代が死に向き合って考えてみる機会を持つことは、ひとりひとりが前向きに生きていけるようになり社会がよりよくなっていくことにも繋がると信じています。
おわりに
研究所でどのような記事を執筆していくのか、どんな活動をしていくのかは、まだほとんどが未定です。次世代死生観研究所という名前も仮のものです。
ですが、“次世代が「死生観」をメインに、さまざまな観点から死と向き合い、研究する”というコンセプトのもと、幅広く活動していけたらいいなと考えています。
例えば学問と死生観、漫画と死生観、私の死生観、ペットのお葬式……など、どんなアプローチをしていこうか、今からワクワクしています!
肩肘はらずに、気軽に研究所を覗きに来てもらえたら嬉しいです。
次世代死生観研究所(仮)研究員 ひなた