こんにちは!
おくりびとインターン 兼 次世代死生観研究所(仮)研究員の、ひなたと申します。普段は大学生をしています。
研究所の記事も、今回で3本目となりました。
死生観について書いていきたいことがたくさんあるので、どんどん更新していけたらと思っています!
前回の記事(そもそも「死生観」って、なに?)でも書いたように、死生観とは「生」と「死」の捉え方のことであり、死生観にはさまざまなタイプがあります。
そして、それは宗教によって、時代によって、年齢によって、そして経験によってもさまざまです。
研究所では今後それぞれの死生観について研究していきたいと考えていますが、今回はまず研究員である私・ひなた自身の死生観について、改めて書き綴ってみたいと思います。
個人の死生観はその人を取り巻くいろいろな要素を元に育っていくものであり、全く同じ死生観を持つ人はいないといえます。
本記事を通して、みなさんもみなさん自身の死生観について一度考えてみていただけたら嬉しいです。
今までの私と「死」
私が死を意識し始めたのはいつ頃からだったのか、明確には覚えていません。
ただ、とても怖がりな子どもだったので(今もかもしれません……)、怪我や病気、災害……といったものに人一倍怯えていました。
しかし今思い返すとその恐怖は、怪我などによって自分が「死ぬ」ことへの恐怖ではなく、痛みや苦しみなどへの恐怖、そして家族など周りの人が「死ぬ」ことへの恐怖が主だったと思います。
“生き物は必ず死ぬ”ということを理解はしていたので、周りの人が死んでいなくなってしまうことに対しては怖いと思っていましたが、自分が「死ぬ」ことについてはあまり怖がっていませんでした。
そもそも幼い頃は、自分という存在が中心・当たり前な世界で生きていたので、自分も「死ぬ」のだという事実が頭からすっぽり抜けていたのかもしれません。
自分ごととして死が怖くなったのは、自分が成長し、私も年を取りいつかは死ぬのだ、ということを、実感を伴って理解できるようになった頃からだったと思います。
病気や災害も変わらず怖いですが、その先にある「死」が、自分が消えてしまうことが、何より怖くなりました。
そんななか、中学生の頃に友達と、死について考えると怖くて眠れなくなるよね、死ってなんなんだろう、なんで怖いんだろうという話をしたことがありました。
友達は、以前友達のお父さんにそういった話をしたら「いままで何人もの人がその問題について考え続けてきたけれど、答えは出なかった。だから、お前が今考えても仕方がないことなんだよ」と答えられた、と教えてくれました。
その話を聞いたとき、なるほど一理あるなと思い、なんだか心が軽くなったのを覚えています。
今の私の「死生観」
友達のお父さんが言っていたように、「死とは一体何なのか」という問いに対し、生物学的な説明を超えた明確な1つの答えを出すことは、おそらく不可能です。
しかし「正解」を求めるのではなく、「考えてみる」「自分なりに捉えてみる」のだったらどうでしょう?
突然ですが、私は大学院へ進学する予定であるほど研究が好きです。
研究においては、どんな問題でも、ひとつの答えがあることの方が珍しいです。
死は怖いけど、とても身近で面白くて、研究し甲斐のある現象だと、今の私は考えています。
研究対象としてとても魅力的なのです。
だからこそ、今までたくさんの人が死について考えてきたのだと思います。
……これだけ書いておいて、私は未だに死がとても怖いです。
正直なところ、自分はいつか死ぬという事実から目をそむけたい気持ちもあります。
なので、まずは研究対象として死を捉え、死生観をさまざまな角度から研究し、死と向き合っていきたいと考えています。
これが、今の私の死生観です!
おわりに
少し長くなってしまいましたが、今回は私の死生観について書いてみました。
「人は死んだらどうなる」といったイメージしやすい死生観とは少し異なると思いますが、これはこれで私の死生観だと言っていいんじゃないかな、と考えています。みなさんはどう思いましたか?
いつか、いろんな人に死生観をインタビューできたら嬉しいです!
次世代死生観研究所(仮)研究員 ひなた